人情噺

落語 唐茄子屋政談のあらすじ 江戸時代の勘当とは

落語 唐茄子屋政談

道楽三昧の挙句、とうとう大旦那から勘当を言い渡された若旦那。

家を出た若旦那は最初は太鼓持ちや吉原の馴染みの女郎のもとを渡り歩くが金の切れ目が縁の切れ目か、結局は体よく追い払われてしまう。

3日ほど飲まず食わずさまよい歩きふらふらと吾妻橋へ
橋
若旦那が吾妻橋から身を投げようと欄干に手をかけたところで後ろから誰かに引き止められる。

若旦那:
「誰ですか引っ張るのは?あ、伯父さんじゃありませんか」
伯父:
「なんだおまえか止めるんじゃなかった、威勢よく飛びこみな」

若旦那は心を入れ替えると伯父さんに約束し、その日は御飯と暖かい布団にありつくことができた。

翌朝、若旦那は伯父さんから心を入れ替えた証に唐茄子売りをやれといわれる。

最初はぐずる若旦那だったが、伯父さんに諭されてしぶしぶ天秤棒を担いで唐茄子売りに出かけるが、なんせ箸よりも重いものを持ったことがないのでたちまちへたれこんで膝を着いてしまう。
唐茄子
すると通りすがりの男が駆け寄ってくる。
荒っぽいながらも親切なその男は長屋の知り合いに声をかけて唐茄子売りを手伝ってくれた。

その男のおかげで、残りは2つになった。

親切な男に礼をいい、あとは自分でなんとかしようと考えるが、人に聞かれると恥ずかしくてなかなか売り声がうまく出ない。

そうこうしているうちにかつて道楽の限りをつくした吉原の辺りに

若旦那:
「吉原の女郎も幇間も金がないとわかると手のひらを返したように冷たい。それに比べて伯父さんは俺の面倒を見てくれるなんてありがたい」

と改心し始めると、誓願寺店のあたりで裏長屋のおかみさんが唐茄子を一つ買ってくれた。




若旦那は残りをおまけにし、その代わり勝手口で弁当を食べさせてくださいと頼み家に上がると、その家の子供がおまんまをほしがる。

話を聞くと
おかみさん:
「夫が出たきり帰らず、今日の米もなくおまんまを食べさせることができないので唐茄子を煮て食べさせるつもりでした」
という。

それを聞いてとても他人事とは思えない若旦那は唐茄子の売り上げをそっくり渡して家を後にする。

唐茄子の金もないということで伯父さんはもちろん承知しない。
だが話を聞いているうちに半分は合点がいき

伯父:
「うそでないならその長屋へ俺を連れて行け」
ということになった。
長屋
件の長屋に二人で着いてみると、家には戸が閉められていて人の気配がない
長屋の住人に聞いてみると、

若旦那が帰った後、大家が家賃に滞りがあるのを理由に金をすべて取り上げたので、おかみさんは若旦那に申し訳ないと首をくくったのだという。

これを聞いた若旦那は因業な大家の家に殴りこむ。すると日ごろから大家の悪行に眉をひそめていた長屋の住人たちもヤンヤと喝采を送る。

するとその頃、首を吊ったおかみさんも手厚い看護のおかげで命を取り留め若旦那はこの行動が評判を呼び勘当を解かれたのであった。

政談とは

奉行
タイトルに出てくる「政談」というのは政治、裁判を題材にした話のことです。

落語的にいうとお白州とお奉行様が登場するやつですが、唐茄子屋政談という演目のわりにはその部分は長いので省略されることが多いです。

他に政談とタイトルの付くものは小間物屋政談、大岡政談などがあります。

唐茄子屋政談 余談江戸時代の勘当について

現代でも勘当という言葉は素行の悪い子供との縁を切る意味で使われていますが、江戸時代の勘当とはかなり意味が違っていました。

当時は勘当した旨を親が奉行所に届け出て戸籍から子供の名前を消して親子関係を消滅させる意味もあり、法的な拘束力がありました。

奉行所に勘当の届出が出されると帳面に記録され、これを「帳付け」と呼び子供が改心して勘当の取り消しの手続きが取られると、帳付けを取り消す手続き「帳消し」が行われました。

現代でも使われる「帳消し」の語源だといわれています。

もちろんすべてが届出が出されたわけではなく、現代の勘当に近い口頭のみで言い渡し内輪だけで済ます「内証勘当」というものもありました。

噺に出てくる若旦那に言い渡されたのはどちらだったかは定かではありませんが、身を投げる寸前までいったのですから奉行所に届出がされたのではないでしょうか?

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