落語 愛宕山
旦那のお供で京都へ行くことになった幇間(太鼓もち)の一八。愛宕山へ登ることになったが、山が険しいのなんの
登る前は「山登りなんて朝飯前ですよ」と強がりを言ったもののみんなからは、どんどん離されてしまう。
息も絶え絶えに旦那たちに追いつくと、そこでは土器(かわらけ)投げの真っ最中。
土器投げとは、谷に下がっている丸い輪に素焼きの皿を投げ、そこを通すというあそび。
旦那は手馴れているとあって、何度も成功させているが一八といえば失敗ばかり
そのうち旦那は本物の小判を投げ始め 「もったいないからやめてください」という一八の言うことも聞かずに投げ続け、一つも通らず三十両分が谷底へ
一八:
「旦那あの小判はどうするんです?」
旦那:
「なあに拾った人のもんだ。おまえが拾ってもいいぞ」
小判はほしいが足元を見ると険しい崖。しかし一念発起した一八は茶屋で傘を借りて、それをバサっと開いて谷底まで飛び降りた。
必死になって三十両分の小判を拾ったが、今度は登るに登れない。
旦那:
「お~い 一八 早く上がってこい。そこは狼が出るらしいぞ~」
慌てた一八は着てきた着物を細かく裂いて長い紐を作り、高い竹に巻きつけ、思い切りしならせて 竹が元に戻る力を利用してビヨヨ~ンと戻ってきた。
一八:
「旦那 ただいまもどりました」
旦那:
「えらいやつだね。一生ひいきにしてやるぞ!」
一八:
「ありがとうございます」
と涙目の一八
旦那:
「で、金はどうした?」
一八:
「あっ忘れてきた」
落語 愛宕山 土器(かわらけ)投げについて
落語 愛宕山について。
江戸時代、崖などの高所から素焼きの皿を投げて的に当てたり、通したりまたは飛ぶ様子を見て楽しむかわらけ投げ。各所で行われていたようですがこの噺の愛宕山だけでなく飛鳥山も名所のひとつでした。
現代でも京都の神護寺というお寺ですることができます。かわらけは現代でも神棚に洗米(洗った米)や塩を御供えするのに使います。
ちょっと文字ではわかりにくいですが、一八は傘をパラシュートの要領で開いて谷底へ 帰りは竹を棒高跳びの要領でしならせて谷の上に戻ったというわけです。
※傘を使って降りず、谷底へ突き落とされるパターンもあります