落語 明烏(あけがらす)
二十一歳になる一人息子の時次郎があまりにも堅物なことを心配し、「客商売が世間知らずでは困る」と悩んだ末に町内でも有名な遊び人の源兵衛と太助に息子を一晩吉原遊郭に連れ出してくれと頼んだ。
源兵衛:
「だんな、よろしゅうございますよ。柔らかいものを硬くするのは難しいですが、硬いものを柔らなくするのは造作もないことで。きっと柔らかくしてさしあげます」
そんなこやり取りがあったとは何も知らない若旦那の時次郎。江戸中が稲荷祭りに浮かれる初午の日(二月の最初の午の日)お稲荷さんに泊り込みのご参詣に行きましょうと騙されて、まんまと吉原遊郭に連れて行かれてしまった。
源兵衛:
「さあここが有名な大門…いや鳥居でして」
若旦那:
「これが鳥居ですか、黒い鳥居とはめずらしゅうございますね」
源兵衛:
「ではお茶屋…いや巫女さんに支度をしてもらいますから、太助とここで待ってておくんなさい」
とかなんとか言い合っているうちに、若旦那はここが吉原の中の女郎屋だということに気付いてしまい、帰りたいとダダをこね出してしまう。
どうしても一人で帰るという若旦那に
源兵衛:
「若旦那、さっき鳥居と言った所は有名な吉原の大門だ。三人一緒に入ってきたのに こんな早くに若旦那一人で帰ろうなんて怪しい奴と止められて、番人にふんじばられてしまいますぜ」
二人に散々脅されて観念した若旦那。ところがそのうぶさ加減をなぜか気に入った花魁の浦里が敵娼を名乗り出てたっぷり一晩もてなした。
夜が明けて源兵衛、太助の両人は揃ってフラれて欲求不満。
源兵衛:
「そろそろ若旦那を起こして帰ろうや」
二人して花魁の部屋へ行ってみると若旦那はニヤついて布団から出てこない
若旦那:
「いやいや、けっこうなおこもりでした」
源兵衛:
「おい聞いたかい。昨日はメソメソ泣いてたくせに。若旦那こういうのは切り上げ時が大切です。今日は引き上げましょう」
若旦那:
「でも花魁が布団の中で私の手をはなしませんので」
とのろけ始めたものだから二人はあきれて
源兵衛:
「もうやってらんねえや、それじゃあ若旦那、ゆっくり遊んでらっしゃい。俺たちゃ先に失礼しますよ」
若旦那:
「帰れるもんなら帰ってごらんなさい。大門でとめられてふんじばられてしまいますよ」
吉原遊郭の変遷
吉原は元和元年(1617年)にできた幕府公認の遊郭。それまで各地に点在していた見世を一箇所に集めることにより、管理するのに都合がいいということで日本橋葺屋町に開設されました。
葦(よし)の湿地に集められたということで吉原の名前はそこからきています。
最初は昼間の営業をしておりましたが、明暦三年(1657年)の大火により全焼し、浅草寺の裏に移転し夜間の営業が行われるようになりました。
夜間営業となると武士は夜、特別な用事がない場合屋敷にいる義務がありましたので、主な客は町人へと変わっていき元禄の頃に最盛期を迎えます。
吉原遊郭で遊ぶ時のルール
遊女と床をともにするには馴染みになる必要があり、初回、再会、三会目と最低三回通わなければならず、いきなり迫ったりするのは野暮とされました。(店にコントロールされているだけの気もしますが)
複数回通っても振られることもあり、花魁などは3回でも同衾するのは至難の技で吉原は完全に女性上位の世界だったそうです。
噺の中の若旦那が初回で床をともにしていますが、落語ならではのファンタジーと言えるのではないでしょうか。
※もちろん大いにけっこうですが(笑)