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落語 高田馬場のあらすじ 人気があった敵討ちについて

落語 高田の馬場

浅草奥山観音様の境内、参拝客を当て込んだ出店や大道芸などを目当てに訪れる観光客もあって今日も賑わっている。

その人ごみの中でさらに黒山の人だかりが出来ている一角がある。姉弟でやっている蝦蟇の油売りだ。

蝦蟇の油売りと言っても江戸市中ではそんなに珍しいものでもない。人だかりが出来ている理由は少し時間を遡る。
刀
独特の口上と刀を使って蝦蟇の油売りが薬の効能を披露している。その姉弟に老いた武士が話し掛けた。

老武士:
「私の背中には20年前に受けた古傷がある。その蝦蟇の油で治るであろうか」

弟:
「いかなる傷か拝見いたしましょう。ほほう武士にあるまじき後ろ傷、投げ打ちの傷でありますな」

老武士:
「いかにもその通り」

老武士が語るには彼は20年ほど前、福島藩士であった際、部下の妻を横取りしようとし斬り合いになった。

部下を討ち果たすと自分の犯した罪の重さに逃亡しようとしたが、乳飲み子を抱いて追いかけてくる妻に懐剣を投げつけられて深手を負ったとのこと




弟:
「20年前、福島藩士?御貴殿の名は?」
老武士:
「岩淵伝内と申す」
弟:
「何?岩淵伝内?何を隠そう我こそはその時討たれた武士の子にして、あの時母が抱いていた乳飲み子である。父の敵だ尋常に勝負せよ。姉上ご油断めさるな」

蝦蟇の油売りで鍛えたよく通る声で敵討ちを宣言したため、物見高い江戸っ子、ましてや観音様の境内、どっと人が集まってくる。

老武士は覚悟を決めた様子で

老武士:
「天網恢恢祖にしてもらさず、誠にこのようなことになるとは、潔く勝負して討たれよう。だがここは観音様の境内。血で穢すわけには参らん。明日の巳の刻、高田馬場で果たし合うことにいたそう」

武士に二言はないなと念を押して姉弟と岩淵はその場は別れた

それを見て「本物の仇討ちだ!」と盛り上がる人もいれば「敵討ちの日延べなんて聞いたことがねえなあ」とか「明日が楽しみだ」とかそれぞれ散っていく人々。
朝
さて日付が変って翌日の高田馬場巳の刻(午前10時頃)

一昼夜のうちに噂は広まって江戸中の大評判。本物の敵討ちを見ようと高田の馬場には野次馬が大挙して押し寄せた。大勢の客を当て込んで出店が出て押すな押すなの大賑わい。

ところが約束の時間を過ぎても果し合いは始まらない。爺が逃げたか?いや姉弟の方も現われない。

見物人たちがざわつく中、徳利を並べて酒を飲んでいる老人がいる。それを町人の男が敵役の岩淵某に似ているのではないかと気がついて思わず声をかけた。

男:
「爺さん徳利を並べて景気がいいね」
老人:
「私の商売は儲かるからな。朝一升、昼一升、夜一升飲む余裕がある」
男:
「どんな商売してるんだい?お侍かい?」
老人
私の商売は敵討ち屋だ。人が集まれば出店が儲かる。その儲けの二割程を頂戴してらく~に暮らしておるのだ」

落語 高田馬場人々に人気のあった敵討ちについて

落語 高田馬場について

敵討ちの話は江戸の町人たちに大変人気がありました。中でも曾我兄弟(そがきょうだい)が工藤祐経(くどうすけつね)を討ち果たした史実を基にした歌舞伎「曾我もの」は新春恒例となり毎年上演されました。

実在の曾我兄弟も幼い時に父親を殺されており、17年越しの敵討ちを成功させています。高田馬場に登場する一家も曾我兄弟をモデルに敵討ちのストーリーを考えたのでしょうか(笑)

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